1992年に日本初のセクハラ裁判「福岡セクシュアルハラスメント事件」の原告として全面勝訴した、晴野まゆみさん。
晴野さんは大学卒業後に就職した福岡の出版社で、上司から性的な中傷を流布されるなどのセクハラを受け退職に追い込まれました。
その出版社はどこなのでしょうか?
この記事にまとめましたので、ご覧ください。
晴野まゆみにセクハラした元勤務先の出版社はどこ?
晴野まゆみさんは西南学院大学文学部外国語学科を卒業後、ブライダルコーディネーターなどの仕事をしながらも、ライターの仕事に憧れていました。
※晴野まゆみさんの経歴や現在の職業・旦那さんについては、こちらの記事をご覧ください。
1986年28歳の時に福岡の出版社に就職し、念願のライター・編集の仕事に就いた晴野さん。
しかし、直属の上司だった男性編集長から性的ないやがらせを受け、2年後には退職に追い込まれることになってしまいます。
その会社は、
- 福岡市にある小規模出版社(編集プロダクション)
- 福岡のエンタメやグルメ情報を掲載する大学生向けの雑誌を編集・出版
でした。
この事件は判例などで、「福岡Q企画出版社事件」と呼ばれています。
出版社の社名は「Q企画」そのものだったのか、Qがイニシャルなのかは判明していません。
ただ、晴野さんも勝訴判決後に実名を公表していますが、当時は「原告A」と匿名で報じられていました。
そのことから、「Q企画」もイニシャルではないかと考えられます。
晴野さんが在籍中も経営は逼迫していたということなので、裁判で敗訴した現在は存在していないと思われます。
福岡Q企画出版社事件(日本初のセクハラ裁判)とは
セクハラまでの経緯
ライターの仕事に憧れ、28歳で出版社に入社した晴野まゆみさん。
直属の上司は当時30代の編集長でしたが、アポイントをすっぽかしたりと、あまり褒められた仕事ぶりではなかったそうです。
そんな編集長の1/3ほどの給与の晴野さんでしたが、やりがいを感じて日々熱心に仕事に取り組みました。
そのうちに取材先からも信頼され、「編集長ではなく、晴野さんに取材してほしい」と言われるように。
ますます忙しくなった晴野さんですが、その頃から編集長から嫌がらせを受けるようになります。
嫌がらせの内容
様々な嫌がらせは、性的な内容がほとんどでした。
- 取材先や同僚と飲むのが好きな晴野さんに、「昨日も遊んだのか」とからかう。
- アルバイトの男子学生たちに「あいつは結構“お盛ん”」などと陰口を流布する。
- 卵巣腫瘍を患い摘出手術を受ける報告をすると、その場で取引先に電話し「実は晴野が入院するんですよ。あれですよあれ。女のあれです。アッチの病気。まぁ、夜がお盛んだから、アッチが疲れちゃったというか」と言われた。
- 取引先の男性との不倫を持ち出され、「誰にも言わないから辞めてくれないか」と脅された。
- 上役の専務に相談するも、編集長は3日間の停職処分、晴野さんには会社を辞めるよう言われた。
言うまでもなく、卵巣嚢腫と性交渉に因果関係はありません。
病気になって少なからず落ち込んでいたであろう晴野さんにとって、酷い言いようです。
当時は女性が飲み歩くことに対する偏見も大きかったですし、編集長は仕事のできる晴野さんに対して妬みもあったのではないでしょうか。
不倫に関しては事実でしたが、脅しの材料として利用されたことに激しく憤りを感じたといいます。
法的手段を取る決意
入社から2年で退職に追い込まれ、かつての取引先を頼りにフリーライターとして生計を立てていた晴野さん。
どうしても納得できず、法的手段をとる決意をします。
お金に余裕がない晴野さんは、費用が安くすむ民事調停を申し出ましたが、調停委員からは、
「こんなことで訴えるなんて聞いたことがないですよ」
「性的ウワサをたてたれるうちが花じゃないですか」
と言われてしまいます。
まだ「セクハラ」どころか「ハラスメント」という概念もない当時の感覚は、そのような感じだったのです。
民事訴訟へ
退職した翌年1989年の1月、地元新聞の記事で「女性専門の法律事務所」ができたことを知り、相談に行きます。
そこで出会ったのが、弁護士の辻本育子さん。
辻本さんは晴野さんに、
「これは、会社があなたを性差別していることになる。会社を使用者責任で訴えましょう」
と提案します。
日本国憲法第14条「全ての国民は性別により差別されない」に反する、不法行為だと訴えることにしたのです。
裁判の結果
晴野さん側は、1989年8月5日に元職場の上司と解雇した会社を相手取った民事訴訟を福岡地方裁判所に提起。
前代未聞の裁判に、一部のメディアは容赦ない批判を浴びせます。
「バカめ、その前に自分の顔を見よ」
「女は被害者ヅラするな」
「だったらズボンをはけ」
そんな見出しが踊る現実。
敗訴濃厚と思われていましたが、1992年4月16日、川本隆裁判長は次のように判決を言い渡しました。
「主文。被告および、被告株式会社は、原告に対し、連帯して金165万円(中略)を支払え」
この判決は、事業主にセクシュアル・ハラスメントを防止する配慮義務を定めた1997年6月の男女雇用機会均等法改正への道を開くなど、今日に大きく影響しています。
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