SixTONESのメンバー京本大我さんの父親で、どんな役柄も幅広くこなす俳優の京本政樹さん。
息子に負けず劣らず美形で、今でも色気がとてもありますよね。
そんな京本さんのご両親はどんな方だったのでしょうか?
調べたところ、ご実家は魚屋さんで、父親・母親それぞれの性格やエピソードも知ることができました。
この記事にまとめましたので、ご覧ください。
京本政樹のプロフィール
- 本名:京本正樹
- 生年月日:1959年1月21日
- 年齢:65歳(2024年9月現在)
- 出身:大阪府吹田市
- 学歴:大阪府立高槻南高等学校→多摩芸術学園絵画学科(中退)
- 所属事務所:Ryus-up
学生時代から夢中になっていたバンド活動のデモテープを聴いたレコード会社からスカウトされ、芸能界の道に進むことを決意します。
しかし直後に俳優として再びスカウト。
1979年20歳の時に、NHK「男たちの旅路」第4部「車輪の一歩」でテレビデビューします。
大川橋蔵さんから目をかけてもらったことから時代劇への思いが強くなり、「必殺仕事人」「水戸黄門」など数々のドラマや映画などに出演して大人気俳優に。
プライベートでは、2度の結婚歴があり、現在の妻・山本博美さんとは1992年に結婚。
※京本政樹さんの嫁(妻)については、こちらの記事をご覧ください。
1994年には大我さんが生まれています。
京本政樹の両親は魚屋を営んでいた
京本政樹さんは大阪府出身。
ご両親は、お父さんが20歳の頃、駆け落ちする形で一緒になったといいます。
結婚後は屋台のたこ焼き屋などで生計を立てていたこともあったそう。
その後、お父さんが子供のころ魚屋に奉公に出されていた経験から、2人で魚屋を始めました。
ご両親は仲が良く、休みの日には父が母を芝居に連れて行ったりしていたそうです。
子供は、京本政樹さんを含めて4人。
- 姉
- 京本政樹さん
- 弟
- 弟
京本さんと下の弟さんは8歳離れているそうです。
魚屋は年末がとても忙しく、子どもたちも徹夜で手伝っていたとか。
お手伝いでもらったアルバイト料で、京本さんはギターやレコード、油絵のセットなどを買ったといいます。
では、どんなご両親だったのでしょうか?
京本政樹の父は柔道有段者で厳しかった
亭主関白で酒好きだった
京本さんの父は、どちらかと言うと亭主関白だったそうです。
お酒が好きで、飲むとよく暴れていたというお父さん。
京本さんが小学校1年生くらいの時に、怒ったお母さんが家出をしてしまったことがあり、それからお酒を止めたといいます。
オレが小学生になったばかりのころに家出したことがあるんです。父は必死になって探し歩いていました。それから、父は丸坊主になって、死ぬまで酒はやめていたんです。
引用:おれの生きざま
お母さんや家族が大切に思う気持ちで、やめられたんですね。
柔道有段者
京本政樹さんは小学校2年生から6年生まで柔道をやっていて、それは有段者だったお父さんの影響だったと以前ラジオで話されていました。
柔道をやっていました。小学校2年生から6年生まで。
うちの父親は段持ちで。道場を見つけた時に「政樹行け!」と言われて始めました。
引用:ニッポン放送
ところが京本さんが小学校6年の時に森田健作さん主演のドラマ「おれは男だ!」が始まり、剣道がやりたくなってしまいます。
結局、柔道と剣道を両立させ、どちらも段を取ったというのですごいですね。
厳しいけれど息子を応援していた
剣道をやるとなると防具や竹刀などが必要です。
お父さんは、
「新聞配達をやって、いくばくか稼げ。そうしたら半分出してやる」
という方針だったそうです。
京本さんが竹刀を買うためにがんばる姿を見てからでないと、防具は買ってあげないよということですね。
それでも、京本さんが芸能界入りのために上京する時には、厳しくも最大の応援をしてくれたといいます。
「お母さんは心配しているけども、父さんはおまえが好きなようにやってみればいいと思う。
芸能界は怖いところで、親の死に目にも会えないというのはわかっているだろうな。丁稚奉公のつもりで他人のメシを食ってこい。
仕送りはしない。どうしても負けて帰ってきたら、そのときはまたなんとかなる」
引用:おれの生きざま
大きな愛が伝わって、胸がいっぱいになりますね。
また、まだミュージシャンを目指していた頃から「時代劇が合うと思う」ともおっしゃっていたそうで、流石に見る目が確かです。
しかしお父さんは、京本さん最初の時代劇「江戸の牙」を楽しみしていたものの、直前に扁桃腺をじらせ他界。
まだ45歳でした。
京本政樹の母は古風な和服美人
尽くす女性
お母さんはおとなしくて、しっかり者の女性で、お父さんによく尽くしていたそうです。
そんな姿を見ていたためか、京本さんは
「ひかえめで、三歩下がってついてくるような女性が好き」
と語っていたことがあります。
#必殺シリーズ#京本政樹
— aomi (@blue_nomi) February 12, 2024
「おれの生きざま2」 pic.twitter.com/dGIJDCDYDT
ただこれは京本さんが26歳の時のインタビュー。
この頃とは好みも変化したかもしれませんね。
和服が似合う女性
また、お母さんはよく和服を着ていたといいます。
「和服が似合う女性が、オレは好きなんです。自分では、ママっ子とかパパっ子とか意識したことはないけれど、母はよく和服を着ていたんで、その影響はあるかもしれません」
引用:おれの生きざま
京本さんの女性の好みは、お母さんを投影しているんですね。
芸能界入りには大反対
お母さんは、京本さんの芸能界入りには大反対していたようです。
母親は大反対でした。美術の道へ行くべきだと、はっきり言われました。
引用:ニッポン放送
母親として心配で仕方がなかったのではないでしょうか。
お父さんが説得してくれ諦めたといいますが、その後の活躍を見て安心されたと思います。
まとめ
この記事では、俳優の京本政樹さんのご両親についてお伝えしました。
実家は魚屋を営んでおられたんですね。
亭主関白で教育的に厳しいけれど、大きな心で応援してくれたお父さん。
京本さんの女性の好みに大きな影響を与えた、古風で尽くすタイプのお母さん。
現在の京本さんは、お二人のおかげであるんだなと思いました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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