2011年4月に発生した、ユッケ集団食中毒事件。
「焼肉酒家えびす」6店舗でユッケを食べた客181人がO-111による食中毒になり、5人が死亡、24人が重症に。
死亡した5人のうち3人が未成年の子供という、痛ましい事件でした。
食中毒を起こした「焼肉酒家えびす」を経営していたのは、株式会社フーズ・フォーラス。
その元社長・勘坂康弘(かんざか やすひろ)氏は、逆ギレ会見で話題になりましたが、現在どうしているのでしょうか?
この記事でまとめましたので、ご覧ください。
また、話題になった逆ギレ会見の動画も改めて紹介します。
焼肉酒家えびすの社長・勘坂康弘の現在は?(ユッケ食中毒)
離婚してドライバーの仕事
「焼肉酒家えびす」を経営していた株式会社フーズ・フォーラスの元社長、勘坂康弘さん。
事件後の勘坂さんについて判明していることは次の通りです。
- 2012年4月:自己破産
- 2013年5月:自己破産後に離婚していると報道
- 2014年1月:運送関係の職場でドライバーをしていると報道
事件から2年後の2014年時点では、運送関係の職場でドライバーをしていたようです。
事件前は、妻と幼い息子と生活していましたが、自己破産後に離婚したといいます。
勘坂氏は自己破産して妻と離婚し、単身で金沢市内の賃貸マンションで暮らす日々だという。
引用:週刊ポスト
再び起業?
2014年を最後に勘坂氏の情報は全くなく、10年経った現在の様子はわかっていません。
会社は2023年に破産手続が開始しましたが、債権者集会にも出席していないようです。
※焼肉酒家えびすやフーズ・フォーラスのその後と現在・破産については、こちらの記事をご覧ください。
ただ、2014年の「週刊ポスト」では知人の話として、再び事業を起こすつもりがあると報じられていました。
「経営手腕はある。まだ刑事罰になるかどうかの結論は出ていない。不起訴か起訴猶予になれば、事業をもう一度始めたいと希望しています」
引用:週刊ポスト
この報道時点では裁判の結果はでていませんでしたが、勘坂さんは刑事・民事ともに不起訴となっています。
もしかしたら、何か事業を始めているかもしれません。
勘坂さんが不起訴となった理由は、
当時は国の衛生基準が周知されておらず、重大な過失は認められない
ため。
この点については、記者会見でも強く主張していましたね。
その「逆ギレ」とバッシングを浴びた会見動画を改めて見てみましょう。
【動画】焼肉酒家えびすの社長・勘坂康弘の逆ギレ会見(ユッケ食中毒)
勘坂康弘さんは計3回記者会見を行っています。
2011年4月29日の最初の会見では全店舗の営業自粛を発表したのみで、まだ問題は大きくなっていませんでした。
しかしその後、ユッケ用の食肉を納入した食肉卸売業者「大和屋商店」が、
「生食用は出荷していない」
「生食用として使用するかは焼肉店の判断」
と主張。
2人目の死者も出たことから、「加熱用の肉をユッケに使っていた」という報道が加熱していきます。
※大和屋商店の現在と、ユッケ肉を納入していた証拠メールについては↓の記事をご覧ください。
それらの報道を受けて2011年5月2日に開いた2回目の記者会見が、逆ギレだったのです。
こちらが会見の動画。
当時の基準では「生食用」「加熱用」という区別はなく、どの焼肉屋も生食に使っていたという主張は、間違ってはいません。
しかし、
- 口調が強い
- 語尾が上がり“!”がついている
- 謝ってすぐに席を立つ
このような様子から、逆ギレしているように見えるのも事実。
こちらは、別の場面です。
誤った報道に怒りを感じているのだと思いますが、死者が出ていることに対する謝罪の姿勢は伝わりにくいです。
その後、死者が増えたことで2011年5月5日に開いた3度目の会見では、憔悴しきった様子で涙を見せ、土下座も。
しかしこれも「パフォーマンス」と批判され、「ジャンピング土下座」と揶揄されたのでした。
まとめ
この記事では、2011年にユッケ集団食中毒事件を起こした「焼肉酒家えびす」の社長・勘坂康弘の現在と、逆ギレ会見についてお伝えしました。
2014年には運送会社でドライバーをしていたということですが、不起訴処分が決定した現在は、どこかで事業を始めているかもしれません。
しかし、被害者や遺族の方には十分な補償がされておらず、心が痛みますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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